安田章大くんをたくだった。
停電って暇ですね。
私は遥か昔KAT-TUNがばちばちにおされているころ、亀梨くんをみてジャニーズヲタクに足を踏み入れました。そこから山Pをみたり、大倉くんをみたりして、たどり着いた先が、安田章大くん。
中学、高校、大学と安田くんに捧げていました。バイト禁止の学生だったので、制限もありましたが、8UPPERS以外はとりあえず現場に出没しました。
①中学生の頃
安田くん可愛い、かっこいい、付き合いたい、結婚したい。そんな典型的な盲目タイプなヲタクでした。雑誌を買って、切り抜きを生徒手帳に挟んでいるような、今思うといじらしいまでにヲタク。章大って呼んでました。ド恥ずかしい。当時は安田くんのただ見た目だけを好きで、唐突な髪型の変化についていけず、基本的には好きなんだけど髪型によるストレスがたまっていたのでしょう。高校時代に変化が起きます。
②高校生の頃
溜まりに溜まったストレスは、"貶し愛"という形で表面化しました。いいところ、可愛いところはあるけれど、二言目には髪型が、髪色が、少し太った、何ぶりっ子してんの?といった具合に文句が噴出。だって見た目しか見てなかったから仕方ありません。しかしながら、とあるものが転機となって、この態度は一変します。
Kicyuとアイライロ(2009年/PUZZLE収録)です。
今までもソロだのなんだの、安田くん作詞または作曲の歌はたくさんありました。すばるBAND、三兄弟の楽曲、ソロだとわたし鏡、それぞれの君と、君と僕、などなどなど。
べつに悪いわけでもないけど、元々アゲアゲパリピソングとか、ガレージロック、はたまた80's〜90's好きな私には、特にめちゃくちゃHitしたわけでもなく、2008年にでたdesireもまだそこまでぐっとはこなかったんですね。今となっては大好きですが。
Kicyuとアイライロで、え?なんでこんな歌作れるの?私大好きなんだけど!今までと全然違う!すごい!みたいな気持ちになって、翌日から呼び捨てにできなくなりました。そこからずっと安田くん、やすくんって呼ぶようになったんですけども。ここにきてようやく彼の中身を知れる限り知りたいと思うようになりました。
その後はラジオ、雑誌、テレビ、彼が発した言葉を頑張って集めて、私の中の安田章大が構築されていきました。
③大学生になって。
受験のためにコンサートを我慢したり(浪人の時は我慢できなかったけど)、大学生になり環境もガラリと変わり、なんとなく私の中から関ジャニが薄れていきました。
加えて国民的アイドルに手を掛けているような、そんな関ジャニを見ながら、「あれ?私の好きな関ジャニじゃないな?今の関ジャニそんなに好きじゃないのかも?」って疑問を抱くようになりました。昔はゴールデンで特番をやる、そんなことが貴重で貴重で、喜ばしいことを沢山教えてくれる人たちだったのに、今や色んな目標に到達して、このまま落ち着いて成熟していくのだろうか?なんて思っていました。昔みたいにギラついてないように感じていました。
加えて、安田くん、どんどん太っていく。(笑)
関ジャニも、安田くんも、なんとなくコンサートにはいくし、なんとなく見てるけど、前みたいに高まってないなあというフラストレーションが溜まっていったんですね。
このフラストレーションの高まりと、ジャニーズWESTとの出会いがうまく重なって、結果小瀧望にだだハマるという時期を迎え、降りるに至りました。
別に降りなくてもよかったのかもしれない、けど私の担当の基準の1つに、現場で楽しめるということがあったために、安田くんの担当って言い難くなったので降りてしまいました。
別に後悔はないけど、降りますってなんとなく宣言みたいなものをしたとき、とっても寂しくて、画面のこちら側で泣いていました。
痛いお話かと思われそうですが、私の12/24年が、人生の1/2 が過去のものになるんです。現在完了形の継続が、過去完了、ないし過去形になったんです。
そこでなんとなく私の人生の直近半分とそこからの人生が一度分断されたような気がして、寂しくなったんだと思います。でも、その時は苦しくて、分断して新しい道に踏み入れたかった気持ちもあったんですよね。不思議。
そんなこんなで安田章大の中身を頑張ってかき集めて、心の中に大好きな安田章大を携えた12年間に蹴りがついたのは2016年の1月4日のことでした。
さて、次回はジャニーズWESTに関してまとめようかなって思ってます。